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阪南キリスト教会 / hannan christ church 



                   本日の説教より 

2021年6月6日  
「アテネの偶像を前に」《使途言行録17章22~34節》

◎私たち人間は何故、何のためにこの世界に生まれて来たのだろう? どんな小さな民族でもそれを説明するために「物語(神話)」を創り出しました。 創世記1章は神さまが人間を愛して、神さまとの交わりの中に置くために人間を創造されたことを語ります。 それが三位一体の神です。
◎パウロは厳格なユダヤ教徒ですから多神教的あるいは無神論的世界観は一切受け容れません。 そんなパウロが伝道旅行の中、当時の哲学の都アテネにやって来ます。 たくさんの偶像が立ち並ぶ街頭に立ってこみ上げて来る思いに耐えかねたのでしょう。 当時、評議所(裁判所?)があったとされるアレオパゴスの真ん中に押し出されて、あの有名な説教が始まります。天地を創られた神がいるのだ! これは偶像礼拝を当然視している彼らには新鮮であった筈ですが、同時に大きな反感をも買ったのも当然です。
◎パウロは当初、ユダヤ人の会堂で伝道していましたが、 やがて異邦人伝道へと主眼を移し最後は帝国の首都ローマを目指します。 この箇所で私たちはパウロの伝道説教に耳を傾け、その手法から多くを学ぶ事ができます。 先ず彼は偶像崇拝者であるアテネの哲学者・知識人を頭ごなしに否定しません。 リスペクトを忘れないのです。そして彼らの文化(偶像)をむしろ逆手にとって創造主なる神の存在を論証して行こうとします。
◎そして罪深き人類を愛して救いと希望のために復活を遂げる主イエスをこの世に送られた神さまの存在を示し、 悔い改めを迫るのです。  「死者の復活」など戯言にしか思えず無視する人もいました。 しかしパウロの誠実な伝道の言葉は確実に異邦人の心を捉え信仰へと導くのです。



2021年6月13日  
「星のように輝き」《フィリピ2章12~18節》

◎17節でパウロは、フィリピのキリスト者たちが、実を結ぶようなことになれば、死ぬようなことになっても大いに喜びます、ということを語っています。それほどまでに、フィリピのキリスト者に愛をもって語っています。
◎2章1-11節で「へりくだり」とは、キリストが神の身分でありながら、人間の姿を取り、世に来て下さったことであると語ります。それは、誰に対しても、立場上の関係がどうであろうと、自らへりくだって、心からの敬 意を表して行くことなのです。
◎「従順」とは、神様の御心に従って人間の罪を救うために十字架で死んで下さった、キリストの姿のことです。そのことによって、キリストは人間の罪を担い救いを成し遂げて下さったのです。このキリストの従順を受けて、信仰者に対しても、へりくだり、そこで従順であるようにと言われているのです。
◎15節で信仰者は「清い者」、「神の子」となり、「世にあって星のように輝き」を放つと言われています。それは、自分の努力によって倫理的に完璧な生活を行う人のことではありません。神の救いにあずかり、自らに神が働いて下さり、御心が行われることを求めつつ歩む人です。神が私たちの上に、願いを置いて下さっているからこそ、「不平や理屈を言わずに行」うことが出来るのです。
◎キリストの従順とへりくだりに信仰者が生かされて、星のように輝きを放つことは、労苦のいることです。しかしそれは、私たち人間の力ではなく、神の力が私たちに及んで聖霊の働きにより、御心を示し、それに従って歩ませて下さるのです。



2021年6月20日  
「貧しさの中の豊かさ」《Ⅱコリント8章1~15節》

◎Ⅱコリント8~9章の二つの章にわたってパウロが訴えていることは「慈善の業と奉仕」です。 それは具体的に言うならば「ボランティア」と「献金」と言い換えられます。 これが二つの貧しい教会と人々の間でやり取りされてい る事にまず注目して欲しいのです。経済的に豊かな人が貧しい人たちを助けるのではないのです。貧しい人たちが貧しい人たちを助けているという姿です。
◎『使徒言行録』11章以下に拠ると、エルサレム教会は飢饉のため酷い窮乏状態に陥っていました。 パウロはこの惨状にいたたまれずに、募金を訴えて回り、これに応じたアンティオキアの教会の兄姉らが献金や物資を贈ることを決め、バルナバとサウロに託すのです(11:29~30)。
◎2節を見ると「彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。」良く読みましょう。満ち満ちた喜びが「あふれ出る」のは誰でも分かりますが、「極度の貧しさ」があふれ出るというのはどういうことでしょうか。
◎ユダヤ教を迫害したパウロの言うこと等、どうして聴 くことができようか。 そんなユダヤ人たちの猜疑心に対してパウロは主イエスが十字架にかかられたへりくだりに徹底的に倣おうとします。 「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。」と。 異邦人伝道を通して、パウロは異邦人教会がそのように献げることを通して祝福され、成長して行く姿を目にしていたのです。 お金があるから献金をする、時間があるからボランティアをするーそうではなく、私たちが主にあって成長する喜びのためです。



2021年6月27日  
「心も思いも一つにし」《使徒言行録4章32~37節》

◎ペンテコステの日に弟子たちの上に聖霊が降り、ペトロの説教を通して三千人が救われ、足の不自由な男がいやされ、再びペトロが説教すると、信者は男だけで五千人の群れになった。ペトロたちは迫害を受けていましたが、愛の交わりによって、教会は大きく成長していった。
◎イエス・キリストを信じた人々の群れ(教会)は、心も思いも一つにし、すべてを共有にして生活していた(2章43~44節にも)。彼らは、心と思いを一つにしていたので、誰一人、持ち物を自分のものと言わず、必要に応じて分け合うことができたのです。彼らの交わりは、喜びも悲しみも共にする交わりでした(ローマ12:15)。
◎教会が、心も思いも一つし、誰も持ち物を自分の物と言わず、すべてを共有にしている、愛の交わりがあった とき、使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証ししたのです。教会における美しい愛の交わりこそ、福音宣教の力の源だったのです。
◎「慰めの子」という意味のバルナバと呼ばれるヨセフは、かつてクリスチャンを迫害していたパウロをアンテオケ教会に迎え入れ、彼と共に世界宣教へと遣わされました。「慰め」は、励まし、勧告とも訳されます。バルナバは持っていた畑を売り、代金をささげましたが、それは主の愛に揺り動かされたからなのです。5章のアナニアとサフィラは、バルナバと同じように土地を売り、代金をもってきましたが、彼らは神を欺き、自己満足と虚栄心のためにそれを行い、主への偽りのゆえに厳しい裁きを受けた。主の心を心とし、主の思いを思いとして、神の愛に動かされ歩んでまいりましょう。