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阪南キリスト教会 / hannan christ church 



                   本日の説教より 

2023年6月4日  
「イエスは主であり、メシアである」<使途言行録2章22~36節>


◎弟子たちがあらゆる国の言葉で神の偉大な業を語っている姿に人々は戸惑いました。そこでペトロが立ち上がり、一部の人は「新しいぶどう酒に酔っているのだ」とあざけりましたが、ペトロは、この不思議な出来事は、聖書(旧約聖書)に預言されていたことなのだ説明し、主イエスの業について証するのです。
◎ペトロは人々に語ります。神のご計画によって遣わされたイエスを、あなたがたが十字架につけた。しかし 主イエスは神によって復活させられ、天に上げられ、聖霊を送って下さった。聖霊を受けた人々によって、主イエスの業が語られ、証される。主イエスの名を呼び求める者に救いが与えられるという神の偉大な御業を、見聞きしているのだと。
◎この御業は、神の救いのご計画に定められていたことでした。旧約聖書には、十字架のように木に架けられる死は、神の呪いであり、裁きであるとあります。本来なら私たちに向けられるはずであった、神の怒りの裁きを、主イエスが引き受けて下さったのです。主イエスが全ての人の罪を負われ、裁きを受けて下さったことによって、人の罪を赦し、救う。それが神のご計画でした。
◎私たちがナザレの人イエスを「主イエス・キリスト」と呼ぶときイエスは主であり、メシアであるということです。「主」とは、神のことであり、救われる者が呼び求めるべき名前です(2:17)。「メシア」とは救い主、キリストということです。主イエス・キリストの十字架と復活によって、私たちは罪と死から解放され、救い出されるのです。永遠の命と復活に与り、神と共に生きる者とされ、慰めと、平安と、希望があります。



2023年6月11日  
「人と人をつなぐ神」<使徒言行録2章37~47節>

◎ペトロの説教を聞いた人々は、自分たちの罪によって、深く心を抉られるような激しい痛みを感じ、ペトロと他の 使徒たちに「わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねた。ペトロは、神に背を向け、逆らってきた生き方をや め、神の方へ方向転換し、神の許に立ち帰って生きるようになり、洗礼を受け、罪の赦しをいただくように勧めた。 ◎洗礼は、見えない神の恵みを表す、目に見えるしるしです。洗礼を受けることによって、罪の中にいるわたしたち がキリストの十字架と共に死に、そのことによって罪を赦していただいて、主イエスの復活の新しい命を与えられて、主と共に生きる者とされるのです。それは神が与えて下さる、自分の外からの恵みを受け取るということであり、主イエスに自分をすべて委ねるということです。
◎主イエスの福音が語られ、キリストを信じる人々が一つとされ、教会が生れました。一つとされた教会が堅実に続けていたことは「使徒の教え」「相互の交わり」「パンを裂くこと」「祈ること」でした。主イエスから与えられた 救いの恵みを一緒に共有して一つとなり、与えられた賜物、持っている能力、弱さや困難でさえも共有して、互いに支え合い、主の恵みのもとに従っていたのです。
◎このような教会の姿を見た人々は「すべての人に恐れが生じ」(43節)、「民衆全体に好意を寄せられた」(47節) のです。「恐れ」とは、神を畏れ敬う気持ちで近づくことが出来ないということです。主イエス・キリストにより救いの恵みを受けたことがどれほど素晴らしいか、そして共に救われ一つにされた者たちが共に神を賛美していることがどれほど喜ばしいものかを、力強く人々に証ししていたのです。



2023年6月18日  
「救いは主イエスのみにある」<使徒言行録4章5~12節>

◎ペンテコステの後、さらに福音が宣べ伝えられ、信仰者の数は男の人だけでも五千人ほどになっていた(4:4)。ペトロとヨハネが神殿で主イエスを宣べ伝えていたところ、祭司たちやサドカイ派の人々が二人を捕らえて牢に入れました。翌日、最高議会が招集され「何の権威によって、だれの名によって」したのかと二人に尋問した。
◎主イエスは弟子たちに、このような場合について助け主である聖霊が教えてくださると語られていました(ルカ12:11-12、ヨハネ14:26)。ペトロは聖霊に満たされて、生まれながら足の不自由な男が癒されたのは、あなたたち が殺し神が復活させられらイエス・キリストの名によるものであり、救いはイエス・キリストによってのみ与えられることを語った。この方だけが、私たちを罪の中から救い出し、永遠の命を与えて下さるのです。弱い時も、倒れる時も、この方が立ち上がらせて下さるのです。
◎ペトロは彼らの罪を明らかにしましたが、それは彼らを責め裁きたかったのではなく、救いへと導きたかったからです。ペトロは自分たちと同じように、主イエスによってあらわされた神の愛によって罪が赦され、復活の主イエスと出会い、聖霊によって変えられる道へと共に歩みたいと願っていたのです。
◎愛と救いの神は私たちを悩みや不安の中に孤立させられません。私たちもまた聖霊に満たされる時、主イエスの愛と赦し、救いに包まれ、必要な助けが与えられます。 不当な目にあっても、判断に苦しむような局面に立たされても、力ある言葉を聞く時、必ず助けがきます。私たちを愛と救いによって、あるべきところへと癒しを回復を与えて下さり、救いの業を成し遂げてくださるのです。



2023年6月25日  
「聖書を共に分かち合う」<使徒言行録8章26~38節>

◎迫害によりエルサレムを追われたフィリポは、サマリアの町に下り、人々にイエス・キリストの福音を宣べ伝え、 多くの人が洗礼を受けました(8:12)。その後、主の天使はフィリポに、エルサレムからガザへ下る道に行けと言われ 彼は出かけて行った。そこで彼は、エルサレムに礼拝に来て帰る途中であった、エチオピアの女王の全財産を管理していた宦官に出会ったのです。
◎当時、離散したユダヤ人がローマ帝国の各地に住み、礼拝を守り、ギリシア語訳の聖書もあり、異邦人の改宗者も いました。しかし彼は宦官であったので、主の会衆に加わることが出来ませんでした(申命記23:2)。その事は彼を苦 しめていたようです(34節)。また、イザヤ書56:3-8には、宦官が神の民に加えられることが預言されています。
◎彼は馬車の中でイザヤ書を読んでいましたが、彼には理解できず、彼に声をかけたフィリポに手引きを求めました。フィリポは開かれていた聖書のイザヤ書53:7-8から共に分かち合い、主の僕イエスが神の救いの御業を成し遂げて下さったことを伝えたのです。フィリポの説き明かしによって、枯れ木にすぎない(イザヤ56:3)と思っていた自分に、救いが与えられていることを知ったのです。神の民の外にいるのではなく、主イエスによって既に神の救いが実現しており、宦官である自分も神の子とされ、神の民に加わることが出来るのだと知ったのです。
◎主イエスこそ自分の救い主であると知った宦官は、洗礼を受けることを望み、フィリポは宦官に洗礼を授けました。聖霊なる神が、聖書を共に分かち合うフィリポと宦官を導き、聖書を通して神の御言葉を語りかけ、宦官は救いへと導かれ、喜びにあふれた旅が始まったのです。