2018年11月4日
「私たちを救う約束~ノア契約~」<<創世記9章8~17節>>
◎本来は先週(日)に守るべきでしたが、キリスト教暦では10月31日を『宗教改
革』記念日としています。 三つの「のみ(ラテン語でsola)」=「聖書のみ」
「信仰のみ」「恵みのみ」にもう一度思いを馳せたいと願います。 昨年はマル
ティン・ルターによって始められた1517年からちょうど500年ということもあ
って、各地で記念行事が開催されたことは記憶に新しいです。今年は501年目
です。
◎救いがお金で買えるとされる贖宥符という制度に対してルターは激しく否を
言いました。 その結果、改革はルターが想像もしなかった形で欧州中に拡がっ
て行きました。教会の中で改革と(後に)呼ばれる運動は本人が意識して推進した
というよりも、聖書の真実を追究する中で、真理そのものが真理を取り戻そうと
した運動と言えます。
◎John Wesleyのメソジスト運動やB.T.Robertsのフリーメソジスト運動も本人
が始めたというよりも、神さまが始めたと言ったほうが良いです。 いつも聖書
という原点に戻って行く時に神さまが答えを用意していて下さる。私たちは聖書
から離れない。 そのように決意し直したい。
◎本日の聖書を見るとき、神さまは「いつも新しく始め直す」御方であるということを覚えます。 「主は、地上に人の悪が増し・・・地上に人を造ったこ
とを後悔し」(創6:5)から出発したノアの洪水は神さまの厳しい審判でした。 し かし神さまはノアの家族を通して救いをも準備される御方です。これが神さま
による「永遠の契約」なのです。
2018年11月11日
「神の民の家族計画」<<創世記18章1~15節>>
◎マムレ(地名)はアブラハムと妻サラが居住した場所であり、彼が妻サラを葬
り自らも葬られた場所でもあります。 3人の使いとは主とその天使とされます。
主はアブラハムのごく日常的な生活の中に自らを現されました。アブラハムも
彼らに神的な何かを感じたのでしょう。彼らにひれ伏して、「通り過ぎないでく
ださい」(3節)と懇願します。 恵み求める者の自然な態度でもあります。
◎彼はこの3人のために盛大な宴を催します。 ごちそう作りには費用(犠牲)や
手間ひまがかかります。 それに加えて、アブラハム自身が客人のそばで給仕さ
えします。 アブラハムのもてなしは当時の風習に従ったものとされていますが、
なぜここまでする必要があるのでしょうか。 ところが3人の関心はアブラハム
の懸命な接待にではなく、彼の妻サラに向けられます。 「あなたの妻のサラは
どこにいますか」(9節)は、女性がひと前に出ないでテントの中にとどまってい
たためです。
◎ここでのちのイスラエルの歴史をつくり出す預言がなされます。 アブラハム
の妻サラに男の子が産まれると言うのです。 そんなことが信じられると言うの
でしょうか?現実の不可能を可能にしてくれる主の力があります。
◎しかし不信仰な私たちは目に見える世界、説明できる事しか信じようとしま
せん。 主に不可能はありません。 アドベントを迎えようとするこの季節、主の
ご降誕も奇跡でしかないのですが、主の力を信じる恵みが信仰なのです
2018年11月18日
「神の民の救済計画」<< 出エジプト記3章1~15節 >>
◎モーセはエジプトの王ファラオの手を逃れてミディアンの地に逃れて来、そ
こで結婚生活を始めます。 彼は当時、最も一般的な職業と言っても良い「羊の
群れを飼う」者となります(2章)。 しかしある日、彼が羊に導かれた場所は神
の山ホレブであり、そこで神との聖なる出逢いを果たします。神さまはこのような日常生活の中で人間と出逢われ召し出されるのです。 ガリラヤの漁師ペト
ロやアンデレにも共通しています。
◎モーセは好奇心で燃え尽きない柴の炎に近づいた所で神の声を聞くことにな
ります。 「モーセよ、モーセよ」と二度、神はその名前で語りかけられます。
それはかけがえのないたった一人の人格への語りかけでした。 神は続けてモー
セにエジプトにいるイスラエルの民の救済計画を示されます(10節)。 モーセに
とっては後ろめたさを残して出て来た地に戻ることを意味します。 今の曲がり
なりにも安定した日常から出て行くことをも意味しています。
◎モーセは抵抗を試みます。 「わたしは何者でしょう。」(11節)と自らはその
任に値しないこと、しかも「イスラエルの人々をエジプトから導き出さねばなら
ないのですか」とそうする理由が分からないと主張するのです。 モーセは自分
の欠陥を挙げて任から逃れようと抵抗します(次4章まで)。
◎しかし神は「わたしは必ずあなたと共にいる」としか応えられません。 これ
は主イエスご降誕のお告げ=インマヌエルにつながって行くものでもあるのです。
2018年11月25日
「神の民の統治計画」<< サムエル記下 5章1~5節 >>
◎イギリスの清教徒たち(Pilgrim Fathers)が、国内の宗教的圧迫から逃れる
ために、メイフラワー号に乗ってアメリカに移住します。 厳寒と食糧不足でほ
どなく半数の人命を失いました。次の厳しい冬を乗り越えて収穫の季節を迎え現
地の人々と共に神様に感謝して礼拝を捧げたとされています。 この故事に倣い
米国では収穫感謝祭(Thanksgiving Day)と呼ぶ収穫を分かち合う祭りを祝いま
す。 私たちも命と感謝を分ち合う者でありましょう。
◎ダビデは前王サウルから命まで狙われ、逃亡の身に追われるまでになります。
サウル王とダビデの盟友ヨナタンがペリシテとの戦闘で戦死したあとは、その
残党との間で醜い跡目争いが生じます。 最終的にはダビデがそれらの権力争い
に勝ち抜き統一王国の王として即位します。
◎ここで言われていることはまず「主の御前に彼らと契約を結んだ」という点
です。 これはダビデの支配が自らの意のままにできるというワケではないこと、
支配は神の計画の中にあるということです。 神の御心を訊くために預言者たち
が配置されました。 ダビデ自身も御心を求めて祈ります。 しかしいつもそうで
あったワケではありません。
◎ダビデの四十年にわたる大きな罪を何度も犯します。バト・シェバ事件(11
章)はその最たるモノと言って良いでしょう。 しかし彼はナタンの叱責を受けて
悔い改めます。 ダビデも含め人間は欠け多き罪人に過ぎません。いつも主の前
に悔い改めをする必要があるのです。
|