阪南キリスト教会 / hannan christ church
2020年12月6日 「取り成すお方が今ここに」 2020年12月13日 「救いの先駆者」《士師記13章2~14節》 ◎士師記には12人の士師が登場します。士師とは、イスラエルを危機から救うために、主なる神が立てられる、敵から解放へと導く指導者です。士師記に登場する最後の士師として、サムソンは誕生します。 ◎サムソンの父マノアはダン族で、彼の妻は不妊の女だった。主の御使いはマノアの妻に、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられていることを告げ、子供が生まれてくるまでぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物を一切食べず、生まれて来る子供の髪を剃らないように命じた。その子はペリシテ人からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となることを明かにした。ナジル人とは「主のものとして聖別された者」(民数記6:2-21)。 ◎サムソン誕生の場面と洗礼者ヨハネの誕生の場面とでは、多くの共通点があります。どちらも不妊の母で、主の御使いが父親に語り、男の子を産むこと、ぶどう酒や強い飲み物を飲まない、母の胎内にいるときから神にささげられていること、サムソンはペリシテ人からイスラエルを解き放つ先駆者であり、洗礼者ヨハネは主イエスに先立ち、救いを知らせる預言者でした。 ◎洗礼者ヨハネは、罪から解き放つ救い主イエス・キリストを指し示す先駆者でした。救い主の誕生は突然の出来事ではなく、神のご計画が実現した出来事です。欠け多きサムソンを主は選ばれ、共に生きる者として下さ った。彼に約束して下さった主の言葉が、彼の力の源です。再び来られる主の約束に堅く立ち、希望をいただい歩んでまいりましょう。 2020年12月20日 「主の訪れ」《マタイ1章18~25節》 ◎マリアとヨセフは神さまのご計画に参加して行きます。しかし、それは決して望んでそのようになったわけではありません。婚約して普通に結婚して、普通に平凡な家庭を築けたはずです。一体、何が彼らをそのような平凡な生活さから引き剥がしてしまったのでしょうか?それはただただ、彼らが選ばれたからとしか言いようがありません。人間の目には迷惑に見える出来事であって、神さまはそのご計画を進めて行くために敢えて、人間の世界に介入なされるのです。それは神さまの愛を示すため、神さまの愛を知らせるためなのですです。 ◎まずヨセフは父とはいえ血縁関係があるわけではありません。どこのだれの子だと言っても良いような立場の中で、いったんは「マリアのことを表ざたにするのを望まず」と「ひそかに縁を切ろうと決心した」(19 節)とあります。ヨセフは決して優れた人とか、完璧な人ではありません。ただ単に「正しい人」と聖書は語ります。ここで「正しい人」とはまず神さまの前にあって律法を守って生活しているという意味でごく普通の人間と言って良いでしょう。 ◎彼は世間的にはスキャンダルと言えるマリアの妊娠に苦悩しつつ「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」との夢に現れた天使の言葉を誠実に受け止めます。 世間の評判や自分の評価をさしおいて、神のなさろうとする新しさに目覚め、神に拠って変えられようと行動をする。それこそが「(神の前に)正しい人」なのです。 ◎ヨセフはたった一度の服従で神様の歴史に参加することになります。それは「お言葉どおり、この身に成りますように」 (ルカ 1:38)と応えたマリアにも言えるのです。 2020年12月27日 「喜びにあふれる導きと出会い」《マタイ2章1~12節》 ◎マタイによる福音書では、主イエスを礼拝したのは、「東の方」からやって来た、異邦人である「占星術の学者たち」でした。救い主に出会うことによって与えられる喜びは、貧しい者にも富んでいる者にも、知識のある者にも無学な者にも等しく与えられるのです。 ◎学者たちは、ユダヤ人の王を拝むために、星に導かれてユダヤの地にやって来た。しかし彼らはどこにおられるか、詳しく知らなかった。そこでユダヤの都エルサレムに来て、ユダヤ人の王として生まれた方がどこにおられるのか情報を集めるのでした。それを知ったヘロデ王は、学者たちを利用して新しい王の所在を教えて貰い、拝むのではなく殺そうと考えたのです。学者たちは、聖書の預言者の言葉から、ベツレヘムへと向かった。そして再び、星が彼らを導きました。 ◎学者たちは「喜びにあふれ」イエス・キリストを探し当てた。彼らは、救い主との出会いを先取りして喜んでいます(Ⅰペトロ1:8)。彼らが信じていた「星」、その背後に神様が働いておられ、彼らを導かれたのです。神様は私たちに、まだ見ていない事柄でも、主の約束の御言葉によって、喜びを与えて下さるのです。 ◎占星術の学者たちは、母マリアと共にいる幼子イエスひれ伏して礼拝した。そして黄金、乳香、没薬を献げます。彼らが携帯していた、できる限りの献げ物をささげました。 ◎神様は彼らの帰る道をも夢を通して教えられました。彼らを受け入れ、導かれるお方に出会い、神様のいない人生から神を信頼し、共に歩む人生を歩き始めたのです。 |