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阪南キリスト教会 / hannan christ church 



                   本日の説教より 

2023年12月3日  
「父なる神から遣わされたメシア」<ヨハネ書7章25~31節>

◎仮庵祭のときに、主イエスはエルサレムに上り、神殿の境内で人々に教えられました。福音を告げ知らせ、様々な奇跡を行っていた主イエスを、この人こそメシアではないかと期待している人々もいました。宗教指導者たちは、イエスが神を冒涜し、神に背く教えを語り人々を惑わしているとして、殺そうと狙っていました。しかしイエスが神殿の境内で公然と話しているので、議員たちはメシアだと認めたのではないかと、様々な憶測を呼んでいました。

 ◎しかし人々は、本当にメシアであるなら、どこから来たのかを誰も知らないような存在であるはずだ、というメシア像を抱き、期待していました。主イエスの出身地ナザレからメシアが現われるということは、人々が抱いているメシアの姿とは違ったのです(1:46)。人々は、自分の思いや感覚によってメシアはこういうお方だとイメージし、また自分の願いや期待に添う存在でないメシアを受け入れられないのです。

 ◎しかし主イエスは、まるで分かっていないと大きな声で人々に言われました。主イエスの本当の出身地である父なる神のもとから、主イエスが神によって遣わされてこの世に来られことを知らなかったのです。

 ◎主イエスが救い主であられることは、自分が救い主について思っていることや願っていること、期待していることによって主イエスを見ているうちは分からないのです。父なる神が独り子主イエスを遣わし、独り子の命を与えてくださるほどに私たちを愛し、私たちに永遠の命を与えてくださった。その父なる神の愛と主イエスによる救いを信じて受け入れることによってこそ、主イエスが救い主であられることが分かるのです。




2023年12月10日  
「あなたのただ中に住まう神」<ゼカリヤ書2章14~17節>

ゼカリヤ書は、主イエスの生まれる約500年前の預言書です。救い主に関する預言がいくつも記されています。預言者ゼカリヤは、バビロン捕囚の間に生れ、祭司でもありました。エルサレムに戻ったユダの民は、様々な妨害や困難により、神殿再建工事が中断していました。ゼカリヤはハガイと共に、民を励まし神殿再建を助けました(エズラ5:1-)

 イスラエルの民は神の前に罪を犯し、その度に神は裁きを下され、民は悔い改めて赦されて歩んできた。民と共におられる神とつながっていることで、立ち帰り立ち直ることが出来た。神殿は神が共におられることを実感するものでした。その神殿は破壊されたままで、民は神に見捨てられたとさえ感じた。そのような中、ゼカリヤは神の言葉を民に伝えるのです。

 ◎たとい神殿がなく、故郷が荒れ果てていても「わたしはあなたのただ中に住まう」と神は言われるのです。主イエスは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われました。主イエスを救い主と信じる人の内に、主イエスは住んでくださることを約束して下さいました。

 ◎主イエスが生れたのは家畜小屋の飼い葉桶の中でした。私たちのただ中に来てくださった救い主を声を上げて喜び迎えたいものです。それと同時に「主の御前に黙せ」ともあります。共におられる主を知るようになると、恐るべき偉大な方の前に、私たちは畏れるしかありません。救い主が来られたことを喜び、また主の前に静まり、主の時を待つ。それは、主が立ち上がり、みわざを現わして下さる希望の上に立つ歩みなのです。





2023年12月17日  
「飼い葉おけの中で眠る救い主」<ルカ書2章1~7節>

◎アウグストゥスは古代ローマに長く続いた内乱の時代を終わらせ、統一を達成し、その後も安定した政治を行ってローマを豊かにしました。皇帝アウグストゥスはローマに平和をもたらした「全世界の救い主」「神の子」と称されましたが、そのような中で飼い葉桶で寝かされた男の赤ちゃんこそが、真の平和の救い主だったのです。

 ◎人口調査は、イスラエルの歴史において、苦い記憶があります。サムエル下24章でダビデ王が人口調査を命じたために、神の怒りが燃え上がりました。ダビデは自分の力を誇る罪に気付き悔い改めましたが、疫病により七万人の民が死にました。イスラエルの民にとっては恐れが生じる出来事でしたが、神の民が待ち望んでいた、神の御子メシアが生れる喜びでもあったのです。

 ◎天使たちは羊飼いたちに、救い主が生れた大きな喜びを告げ、飼い葉桶の中で眠っておられると彼らに示しました。しかしそれは、他に場所がなく、仕方なく飼い葉桶で寝かされたのではなく、神がそこに導かれたのです。イザヤ1:2-3には、この世界に神が救い主を遣わされた御心が、飼い葉桶に寝ておられる救い主イエスによってあらわされていることが示されています。牛でさえ真の飼い主を知り、ろばでさえも自分の主人の飼い葉桶を知っているのに、民は知らないという嘆きです。

 ◎牛やろばが食べる飼料を入れる飼い葉桶が、救い主を受け入れたように、私たちはこの救い主イエス・キリストによって真の命をいただき、養われるのです。私たちと同じように、痛みも不都合なことも、また十字架上での苦しみをも味わってくださった方は、あなたと共に生きるために生まれてきてくださったのです。




2023年12月24日  
「神の御子によって語られた」<ヘブライ書1章1~4節>

◎この手紙は、ユダヤ教から回心したユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれた手紙です。ユダヤ教と自分たちの新しい信仰との関係を知りたがっていた人々であったと思われます。迫害や困難、苦難にあい、過去の生活に戻ってしまう人々へ、信仰にしっかりとどまるように励ましています。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから、目を離さないようなしなさい。」(ヘブル12:2

 ◎神は、私たちが神を知り、神を信じることが出来るようにするために、私たちに御自身をあらわし、語られたお方です。神は、神の言葉を預かり、それを語る人たちを通して、ご自分のみこころを、段階的に、断片的に語られました。しかしそれは、正しいものですが、神の啓示のすべてではありません。その完成のために、神の御子イエス・キリストが到来されたのです。

 ◎神の御子イエス・キリストは、父なる神の財産を相続する権利を持っておられる。それだけでなく、この御子を信じるなら、その人も神の子とせられ、キリストと共同相続人になるのです。キリストは万物の創造者であり、神の栄光の輝き、神ご自身なのです。キリストは万物を造られただけでなく、それを保っておられるお方です。キリストを見ることは、神を見ることなのです。

 ◎キリストは神の完全ないけにえとなり、私たちの罪のきよめを成し遂げて、神の右の座、神の権威の座に着かれました。この方を信じることによって、私たちは救われるのです。この方は私たちの王の王、主の主として、決してあなたを見離さず、見捨てることはないと約束してくださっているのです。この神の御子イエス・キリストを見て、すべてをゆだねたいと




2023年12月31日  
「主を呼ぶ人」<詩編145章14~21節>

◎詩編145篇は、各節の最初の文字が、ヘブライ語のアルファベットの順番になっています。ただ13節と14節の間に相当するアルファベットが一つ欠けています。この詩編はユダヤ教のタルムードで、日毎の祈りとして愛唱することが勧められています。イエスの教えられた主の祈りも、この詩編が基礎になっているのではないかとも考えられています。

 14-17節では、主を呼ぶ人、主を畏れる人、主を愛する人を主が支え守られ、主を賛美しています。神がどのような御方か、私たちにどのような関わりを持ってくださり、何をしてくださるのかを知るときに、主を証しし、ほめたたえる賛美になるのです。

 「呼ぶ」という言葉は「出会う」という意味も込められています。望みがかなう以前に、神との出会い自体に意味があるからです。。神の御前には、何一つ隠し通すことはできません。主を呼び、主を畏れ、主を愛する人は、主の御前にへりくだり、自らを隠さずにさらけ出すのです。主なる神は、私たちの罪、汚れ、弱さ、傲慢さ、愚かさ、すべてご存知です。そして、私たちの望みをかなえ、叫びを聞いて救ってくださるのです。

 主なる神が、私たちにしてくださった御業を思い起こし、そのことを私たちが証しし、世界中の人々が、世々限りなく、聖なる御名をほめたたえます、と締めくくられています。新しい年を迎えようとしています。主を呼び、主を畏れ、主を愛する者となり、すべての人が聖なる御名を世々限りなくほめたたえる日が来ることを信じて、主に感謝して賛美しつつ、新しい年も歩んでまいりましょう。